ボーディングスクールに行ったことがない人に、どんな場所か理解を深めてもらうためにはどうすればいいのか。
もとから興味がある人はすでに入り口に立っているようなものでいいのですが、私はもっと裾野を広げたい。
「ボーディングはうちの子/自分向きじゃない」と、ボーディングスクールについて知る前に選択肢から外してしまうのはもったいないです。
もしかしてボーディングスクールは富裕層のエリート候補生の特権のように捉えられているのでしょうか。
現地では、日本で捉えられているほど雲の上な感じではないです。日本の私立受験のような感じでしょうか。実際に受験するかどうかはさておき、選択肢のひとつとして身近にある感じです。
というのも、ボーディングスクールには様々な奨学金や助成金があり、必ずしもザ・富裕層やザ・エリートばかりの学校ではありません。(学校のカラーはそれぞれあります)現に私も学費援助を利用して卒業しました。
ボーディングスクールは決して、エリートを量産する教育機関ではない、と私は強調したい。
ではボーディングスクールにはどんな効果を期待できるのか。
この記事では、私自身のビフォーアフターを紹介しつつボーディングスクールの教育効果について語ります。
※ご注意※
ボーディングスクールにはそれぞれ個性があります。私はアメリカのボーディングスクールに通っていましたが、他国のボーディングだとかなり違うこともあるかもしれません。
私が通っていたボーディングスクールについては、こちらの記事にも詳しく書いています。
ビフォー:ボーディングスクールに入学する前の私
記憶を掘り起こしながら、中1〜中2の頃の自分を描写します。
とくに取り柄もなく、引っ込み思案のどこにでもいるような子だったと思います。
正直、ここまでつまらないことを書ける自分にドン引きです。
でもその次に書くことに説得力をもたせるためにも、ビフォーの状態を知っておいてほしいのです。


日本でインターナショナルスクールに通っていた
私は小2から、神戸にあるインターナショナルスクールに通っていました。
同級生は約25名のこじんまりした学校でした。特に仲良くしていたのはそのなかでもほんの数名。
好きな科目は理数系で、成績は総合的にも上位でした。確か100点満点方式で、ほぼ毎学期全教科90以上とれていたはず。でも授業で手を上げるのは苦手でした。
たまに学校に行きたくない日があり、朝から休ませてもらうことがありました。そんな日は、誰もいない家でひとりの時間を楽しむのが楽しみでした。
習い事は、国語の個人指導塾だけ。
体育やスポーツなど、汗をかくことは嫌で、部活もやっていませんでした。
放課後や週末は決まった過ごし方
放課後から親が帰宅するまでの時間は、近くに住んでいた同級生の家と自宅を行き来してゲームをしたり、家にあるおやつを盛大に食べたり、弟と妹をいじめたり遊んだり無視したり(ひどい)して過ごしていました。
一人で過ごすことも全く苦ではなく、本屋をうろついたり、漫画を読んだり、ネットサーフィンしたり、懸賞パズル(数独やイラロジ)にはまったりしていました。我ながら根暗。
週末はたまにインターの同級生と神戸・三宮・明石・大阪などで買い物・カラオケ・映画・プリクラなどで地味に遊んでいました。スタバはまだ敷居が高く、マクドナルドやミスドやフードコートにいました。
まだ携帯が普及していなかった時代。
家の電話を長時間占領して友だちと話す時期もありましたね。ネットが引かれると今度はMSNメッセンジャーで友だちと長時間チャット。
好きな人は、何人かいました。両想いになりかけた人も多分いたけど、誰とも付き合うことはありませんでした。
そこそこ社交的に見えるかもしれませんが、かなり小さく限られた交友関係だったので、同じ人達とだらだら時間を一緒に過ごしている閉塞感はありました。
(誤解がないように、今でも連絡を取り合う大事な友人達です。)
とにかくつまらない、根暗な印象
繰り返しますが、ここまでつまらないことを書ける自分にドン引きです。
今の私を知っているひとからすると、イメージが違うかもしれませんね。部分的には残っているところがあるのでしょうが。
留学前の私はとにかくめんどくさいことが嫌い、勉強でも運動でも競争欲がない、できることなら昼まで寝ていたい、夜遅くまで漫画を読むかネットをしていたい、そんな人間でした。
アフター:ボーディングスクールを卒業する頃の私
14歳のときに入学したボーディングスクール。
環境が変わっただけで、急に人間が変わるわけがありません。最初は特に、最低限の予定をこなしてあとは自室にこもっていることが多かったです。
部屋にはインターネットがあり、パソコンがあり、冷蔵庫がありました。自由時間を部屋で過ごすことになんの不便もありませんでした。
授業態度も受動的。最初は、ほかに行く場所がないから(学校に住んでいるし)仕方なく授業に行っている感じでした。
その当時の私から4年後の私の姿は到底想像できていなかったでしょう。予定していたからといって、そのとおりになるものでもありませんが。
それくらい私は変わったのです。
自然が身近になった
アメリカのボーディングスクールは、郊外に在ることが多いです。その立地を最大限活かして、私の学校ではアウトドアプログラムがありました。
キャンパス自体も自然が豊かで、日常的に芝生で過ごすことがありました。裸足で野外を歩くことも、よくやっていました。
毎年の恒例行事で、急に授業がキャンセルされて全校生徒で登山をするMountain Dayもありました。初めの頃は、強制登山やキャンプは憂鬱でした。
でも私は登山、木登り、マウンテンバイク、カヌーやキャンプなどを通じて、「自然」や「野外」とお近づきになりました。
趣味のセーリングと出会ったのも、この高校でのこと。体を動かすことも汗をかくこともいとわないスポーツと初めて出会いました。セーリングを通じて、私は自然との対話方法を身につけたんです。
この出会いは一生モノです。


異なる価値観に対処できるようになった
ボーディングスクールには、いろんな国や地域や文化背景から生徒が集まり、共同で学習と生活を営みます。
この学校で初めて、LGBTQが身近になり、文化的マイノリティになることを体験し、政治や宗教を語る術を知りました。
多様な文化・社会・個人的な背景を尊重し、衝突や融合を受け入れる、という経験を繰り返しています。
日本人であることや、日本の固有の文化を伝えることも、意識せざるをえませんでした。これは、とても難しかったです。
長期休みや週末などに、いろんな家庭に泊まらせてもらいお世話になったことも、いろんな文化の違いや共通点を知るきっかけになりました。
ボーディングスクールを通じて、嫌でもポリティカル・コレクトネスや環境意識が植え付けられました。
ボーディングとは関係ありませんが、911テロを身近に体験し、国内外の集団ヒステリーの現実を知ったのも貴重な体験です。学内では、そんな危機に直面しながらコミュニティの団結力がより高まったのも感じました。
予定みっちりなリア充
ボーディングスクールで最高学年の12年生(高校3年)ともなると、学校生活の集大成とでもいうか、学校のリソースを最大限活用して出ていってやろうという気持ちでいっぱいでした。
留学前は、たまの「おひとり様デー」がないとやっていけなかったのに、ボーディングスクールでは授業に行かなかった日はありませんでした。まぁ、学校に住んでいるので、授業に行くハードルはだいぶ低いですけど。
授業以外の課外活動も、いろいろ試してお気に入りが定着しました。水泳部のマネージャー、合唱、演劇、ボランティア、Student Leaderというリーダーポジション。
友だちや彼氏もそれなりにできました。自由時間は、自室で過ごすこともあれば、人と過ごすこともあり。みんな学校に住んでいるので、会いたいときはすぐに会えて、不便がなかったです。


人前に立つことも平気に
音楽・美術・舞台芸術・文学の楽しみ方が少しわかるようになったことも収穫でした。
演劇に目覚め、下着姿でキスシーンやターザンロープ(若気の至りすぎて痛い)をやったり、ミュージカルに出演したり。
合唱に目覚め、オーディションでソロパートをとったり。
どれも、それまでのインターナショナルスクールではおそらく成し得なかったことだと思います。
他にも、13時間フライトや時差ボケが全く苦じゃなくなったこととか、世界中に知り合いがいることとか、ボーディングスクールで得たものはたくさんあります。
ボーディングスクールライフは忙しくて、挫折や失敗や劣等感もいっぱいあったけど、かなり充実していた4年間でした。


ボーディングスクールで身についたのは「○○力」
ボーディングスクール卒。このような経歴の人が近くにいたら、いわゆる「エリート」と思われるかもしれません。
「エリート」って、人を率いたり指導したりする立場にあって、お金や権力や地位のいずれかをたくさん持っているイメージです。例えば官僚、政治家、経営者、士業、医者などでしょうか。
でもボーディングスクールは、必ずしも「エリート」を育てたいわけではありません。
卒業してから15年が経ち、自分や知り合いのビフォーアフターを振り返ってみて発見しました。
ボーディングスクールの存在意義とは、エリートの量産ではなく、「人生を自分でコントロールできることに気づくこと」ではないか。
ボーディングスクールが提供してくれる人的・物的リソースや挑戦機会を通じて、私は知らないうちにいろんな実験を繰り返してきました。
私がボーディングスクールで得られたのは、他でもない「人生のプロデュース力」でした。
自分の人生に主体的に・積極的になれない人が、受動的に・惰性で「良い仕事」ができるでしょうか?
ここでいう「良い仕事」とは、お金儲けや出世に限りません。
仮に「良い仕事」をできたとして、一発屋だったり?
持続的で、WinWinで、社会や地球がよりよい場所になるような、周囲への働きかけ。その前提となるのは、自分への働きかけです。
私は、ボーディングスクールという環境で自分が変わることを経験し、自分で自分をプロデュースしていく行為を繰り返しました。その試行錯誤の結果が、このビフォーアフターなのです。他にも同じことを経験した仲間が世界中にいます。
もちろん、ボーディングスクールを卒業したからといって、自己プロデュースを完璧にできているわけではありません。まぁ、なかにはできていそうな子もいたけど、ほとんどがまだ発展途上。「自分にはどうやら自己プロデュース力が眠っているらしい」ということが実感としてわかって、さあ大学からどうしよう、という感じ。
この実験はずっと続くけど、精度はだんだんあがっていく。この力とプロセスにいかに気づき、いかに実験サイクルを回せるか、いかに精度をあげていくか、与えられた試練からいかにチャンスを見つけるか。人生の成功はここにかかっているかもしれない。
その結果として、「エリート」になる人もいれば、社会経済的な尺度では測れない形の成功を得る人もいる。
繰り返しますが、ボーディングスクールに行けば必ず”成功”するわけではありません。人生に迷わなくなるわけでもありません。
ただいえるのは、人生には受動的に生きていく方法と、主体的に生きていく方法の2種類しかないということ。
後者を無意識に刷り込まれるのが、ボーディングスクールという環境なのです。
自分の人生を主体的に生きる。こう書くと当たり前な気もします。でも意外とできていない人や、できていないときが多いです。
まとめ
ボーディングスクールのイメージが少しでも明確になれば嬉しいです。
一口でボーディングスクールといっても、様々です。今はインターネットで学校の情報を仕入れるのが簡単になりました。
それでも正規留学の前には、できる限り現地訪問もお勧めしています。
とにかく早めのうちから情報収集と準備を始めるのが吉です。
進め方は私のノウハウ集「【小中高生の長期留学】”流されない”情報の集め方」に詰め込みました。