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「それでも公立小学校を選ぶの?」というご意見

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少し前に、読者の方から以下のようなご意見をいただきました。

そこでのやりとりに盲点をつかれた気持ちでしたので、こちらに共有させていただきます。

テーマが大きく2つあって、関係ないようでいてつながっているので、無理やりですが同じ記事で取り扱います。

公立小学校の実態と、インターとの違いについて

例によって個人特定できないようにところどころ省略しております。

読者さんには掲載許可をいただいております。ありがとうございます。

初めまして。萩原さんのウェブサイトで色々な記事を読んで、時々、私が書いたんじゃないかって思うくらい、まったく同じことを考えていらっしゃる部分があったのが印象に残りました。

私もアメリカのハイスクールと大学を出たバイリンガルで(中略)夫も英語強ですがバイリンガルです。子供も2人です。どこまでも似ているなぁと思っていましたところに、子供の学校選びにおいて、真逆の選択肢が書かれていたので、仰天しました。

この記事のことですね。

【小学校を決める前に読んで】我が子をインターや私立に入れない理由は3つある
私は日本のインターからアメリカの寮制高校に進学し、日本の大学を卒業しました。大学を卒業するまでの間、ほとんど外国の教育を受けています。一方の夫も帰国子女で留学経験があります。夫婦のTOEIC合計...

小学校を公立に…というところですが、実は私も萩原さんと最初はまったく同じように考えていました。しかも自分も小学校は公立に通い、ちゃんとした生活を送っていますので、まったく問題ないと思っていたのです。

でも実際の公立校は想像以上に酷いものです。おそらく萩原さんはご存知ないのではないかと思いました。ブログ記事からは、まだ、お子様は小学校に通っていらっしゃらないようでしたし…。そもそもコロナ騒ぎで学校がオンラインでも始められないというところで、その質がわかりますが、要するにあってもなくても同じだった、というレベルになっているんです。

うちは上の子を公立小学校に通わせましたが後悔しています。なので下の子は●年生でインターナショナルスクールに転入させました。私たちも最初はお金の使い方を…と色々考えて(本当にこの考え方が萩原さんの書かれていたとおりだったので割愛します。子供を連れて海外へ行かれるところやその理由などもうちと同じで本当にびっくりしました。)公立校にいれたのですが、今の日本では望む教育にはそれなりにお金をかけないといけないということを思い知らされた感じです。

学校は毎日通うところです。どう頑張っても中~高学年になるにつれ、子供は親とは違う本、テレビを楽しんだり、違う場所へ行ったりもします。そういう時にとる行動の元には親の影響も大きいですが、学校生活からの影響も大きいのです。

例えば単純な例で、小学校で、夏には水筒を持ってきていいと言われます。ところがそれを飲めるのは決まった休み時間だけ。ほかは水道水を飲めと言われます。また、登下校中は飲んではいけません。「もしどうしてもってなった時だけ飲むんだよ」と先生から子供は言われています。(正直、炎天下の中、「どうしても」なんて思った時には熱中症になっているでしょうけど。)

たとえ親が、「いやいや、登下校中は飲みなさいよ」と言っていて、子供は飲むことを選択したとしても、子供同士での登下校中には誰かが「いけないんだー。先生に言うぞー」などという世界です。親は子に「そういうときは正直に説明すれば大丈夫」と言っておいたとしましょう。でもそれが毎日続くと子供は面倒くさくなって飲まない選択をするかもしれません。

公立小学校ではこういったくだらないことが数えきれないほどあります。恐ろしいことに保護者の中にもかなりの割合でそれが当たり前のように行動し、意見を言ってくる人達もいます。ちょっと会議、なんかに呼び出された日には、チャット数回のやり取りで決められただろう内容に2-3時間平気でかけたりもします。

ほかにも社会の常識からは考えつかないようなことがたくさんありました。上記の「謎の水筒ルール」は、私たちはかなり経つまで知りませんでした。ある日、そういえば水筒の中身が減っていないのでどうしてか聞いてみたら発覚した事でした。

こういう毎日のことは人格形成につながります。いつの間にか子供達は枠の中で、はみ出ないように生きることを学ぶようになり、はみ出る子に対して「面倒くさい奴だな」という目を向けるようになります。

そして肝心な授業ですが、学校によっては頑張っているものの、1クラス35人近くのクラス内では①授業が簡単すぎて飽きている生徒、②授業のレベルに合っていて楽しんでいる生徒、③まったくついていけてない生徒にわかれています。先生は②~③を中心に授業をしていきます。世間的にも心配されるのは③の子たちですから当然なのですが、もし、萩原さんのお子さんが①に入ったら、どうでしょうか。

子供の頭脳のやわらかいなんでも吸収できる貴重な6年間、本当はもっとできるのに常に「待った」をかけられる状態が6年間続くわけです。
しかもこの「待った」のかかり方、想像を絶します。たとえば漢字が好きな子が漢字ドリルなどを範囲外までやってくると、「そこはやっちゃだめだよ」と言われるような環境です。この言葉が子供同士だけでなく、先生からくることもあるそうなのであきれます。

英語力にしたってそうです。すでにできる余力がある子が難しいことに挑戦できない状態が6年間続くことになります。ちなみに小学校では2~3年生くらいでもcolorやshapeなんて、現地の幼児がやることをやっています。バイリンガルの子からももっと上達する時間が奪われます。読み書きなんて皆無に等しいでしょう。

萩原さんのブログで、誰かに教えてほしかったと思えることを伝えたいというような内容があったかと思います。長々と申し訳ありませんが、私は、公立小学校についてはその酷さを誰かに教えてほしかったと思ったので、こうして書かせていただきました。

正直、中学受験などについても、私は最初、萩原さんと同じように思っておりました。ただ、今となっては中学受験を考える親は、いわゆる「お受験ママ・パパ」みたいな人達だけではなく、公立校がいかに酷いかをわかっていらっしゃった親たちなのかもしれないとも思えます。(一度、長男に中学受験を考え、受験塾に1年間入れました。受験を目的としていた塾なので、出席に関する考え方が厳しく、結局塾も受験自体も辞めてしまったのですが、実は授業と教科書は非常に満足のいくものでした。しかもその後の1年間も長男は塾で教えてもらった知識の余力だけで成績が良い状態が続きました。)

残念ながら今の日本ではすでに「教育は買うもの」になってきています。そのへんはアメリカと実は同じです。ただ、誰も言わないだけです。実際に買っている人達はそんなこと大っぴらに言えませんから。

現在、うちの子供達は2人ともインターナショナルスクールに通っています。インターでは安倍総理が休校を持ち出す前から校内でコロナ対策本部がたてられ、オンライン授業になるかも、と親に一斉にメール通知が出され、国内で全部の学校が休校と決まったその日からオンライン授業で普通に授業を開始しました。最近のインターでは多くがPYP、MYP、そしてIBのいわゆる国際バカロレアの教育方針にのっとったカリキュラムがとられています。とくにPYPでは、子供にいつも世界に目を向けさせてくれます。世界の中の日本とその役割、自分と世界とのつながり、自分ができることなどを常に考えさせてくれるカリキュラムになっています。

個人の得意を伸ばしてくれるのもインターならではです。今ではオンラインツールを通して、学年に関わらず、その子の学力にあった内容をやらせてくれる科目も多々あります。例えばうちの下の子は●年生ですが、読書が好きで、もっと上の学年の物をアサインされることが続き、今ではハリー・ポッターを英語で読めるようになっています。まだ転入してから1年もたっていません。

日本の小学校を続けていたら「待った」がかかった状態で6年生になっても読書好きになったか怪しいものです。そもそも小学校で娘が読書が好きだったなんて誰も知らないんじゃないかと思います。

長くなってしまい、申し訳ございません。ただ萩原さんにどうしても現在の公立小学校の現状や少しだけですが、現在のインターナショナルスクールの現状をお伝えしたいと思って書いてしまいました。特に公立小学校周りの環境や、なぜ私立学校が存在するのかなど、実際にとおってみて初めてわかったことでしたので、ぜひお伝えしたいと思った次第です。

ご無礼、お許しください。

お時間を取ってご意見をいただき、感謝しております。

私と境遇や考え方が似ているとおっしゃっていたとおり、ご指摘いただいた公立の実態やインターとの差には私もうなずけるところが多かったです。

なのに、違う結論に至っているのはなぜなのか。そこが気になりました。

それでも私は公立小を選んだ

以下、上記に対して私からお送りした内容です。


有り難いご意見をいただきまして感謝いたします。

私が公立小学校に行ったのは、1年から2年生の1学期までです。記憶も薄くなっていますが、言われてみればどちらかというと苦手な記憶のほうが多いかもしれません。その当時は大阪市内でした。

なので、(読者)さんのおっしゃることを、確かに!と思いながら拝読しておりました。おっしゃるとおり、今の小学校には息子はまだ”通って”はいないので、実際にはわかりません。どうして私は今の結論に至ったのか、もう一度考えてみました。

学校は公私立の関係なく、ナマモノである

記事にも書いてあるように、我が子を公立小(ここではA小とします)にいれる決断をしたのは、あくまで現時点の我が家の状況や子ども本人の意向や性格を反映させた決断です。

今私達が住んでいるのは千葉県でして、私の短い公立小経験とは土地柄も学校規模も時代も違います。

私は”学校はナマモノ”だと考えています。
校長・担任・生徒・地域・父兄・時代背景、どのピースが変わっても違う化学反応が生まれます。

些細なバリエーションであっても、子どもにとってはそれが唯一。
日本の公教育のデメリットもよく聞きますが、私は良いところもあると考えています。実際の子の体験を観察するまでは、A小学校を否定する理由はありません。

他の現実的な選択肢の有無

今の我が家の近くには、毎日通える距離に満足できるインターや私立がありません。

かつて私を公立小からインターに移した母は、小学生の私が毎日大阪から神戸まで片道1時間通学するのを見兼ねて神戸に引越しました。父を大阪に残しての逆単身赴任でした。

一方の我が家は、「夫婦はずっと一緒に住む」方針でやってきているので、同じようにする予定はないです。

ただ仮に今の小学校が息子に全く合わないということがわかった場合は、通える圏内で他の選択肢(フリースクールか私立校)にするか、ホームスクールをするか、学校を求めて一家で引っ越すことになるでしょう。

答え合わせは子どもの反応で

このような家庭や周辺の状況以外にも、私個人の性格や思考回路も関係しているかもしれません。たとえば私は割と性善説に寄りがちなのと、たとえばAで悪いことがあったからといって、そもそもBを選んでいてもそれを避けられたとは限らない、という考え方を元々しています。

また私がどう考えるか、というよりも子どもがどう反応するか、を優先しているところもあります。

「教育は買うもの」になりつつある。これについて、まったく同感です。実際、その大事なお買い物のお手伝いは、私の仕事の一部です。

「公教育」と「買う教育」、同じ”教育”で一文字違いですが大きな違いですよね。(うまいこと言ったつもりです)

もし我が家の近くに魅力的なインターや私立があって、選べたなら、我が家はどうしていたでしょうね。多分、私は息子をすべての選択肢に連れて行って、親の考えを説明して、最終的には息子に楽しそうな方を選ばせていると思います。

(読者)さんは、きっとお子さまのことを第一に考えてインターを選ばれたからこそ、その結果が良かったのだと思います。お子さまの「得意」や「好き」を発見し、伸ばすことができて本当に良かったですね。それが何よりだと思います。

過剰な適応という不幸な状態

その後もメールは何度か交わされました。

そのなかでも特に私がぐっと来たコメントがこちらでした。

記事を読んでいても萩原さんの行動力や観察力を感じました。子どもも、観察力のある子ほど、周りに合わせてしまうかもしれないこともご承知おきください。

親の私が言うのも変ですが、子供たちが学校ではどちらかというと人気者タイプでしたので、一見、学校が「合っていない」というイメージと結びつかず、長男にいたってはずるずる●年間通わせてしまった感があります。

なんとなく、息子との会話の中で、「もっと大きく考えなよ!」とか「ほかにも選択肢はあるよ」と私が思うことが多くなり、おや?と思った感じです。

いやー、、特にこの一節には感謝です。きっと読者さんはそこまで私が反応すると思っていなかったと思いますが、危うく私も見落としていたかもしれないことに気が付かされました。

子どもが環境に”過剰に”適応していた場合、どう気づくのか。どう防ぐのか。果たして防ぐべきものなのか。

公立・私立・インターにかかわらず、どんな環境だったとしても子どもに合わなければ、このような状態になる可能性はあります。
まぁ、これに気づいたところで過剰な適応を見落とすことは充分ありえるのですが。

「過剰適応」というと、精神科でも使うような専門用語ですが、ここでは一般的な意味で”過剰な適応”とらえています。

過剰な適応のなにが問題なのか

ある環境が子どもに合っているかどうかは、適応できている/適応できていないの軸で捉えるとわかりやすいし、便利です。

しかし「適応できている」のなかには、実は「適応しすぎている」も含まれています。

適応しすぎるのは困りものです。
なんの問題もないようにみえても、当人は周りに合わせて自分の行動や考え方を無理して変えている場合があります。

その無理が蓄積して気づいたら心身が疲れている場合と、自然に解消して適度な適応に落ち着く場合があります。

でも「適応しすぎ」と「適度な適応」の差って、外からみてわかりにくいです。自分でも気づいていないことが多々あります。

ただし!これにはかなり個人差がありますし、医学的な話でもあるので私の話は素人のものとして流してください。

子どもの過剰な適応をどうするか

“過剰な適応”に心当たりがある私からは、このように返すので精一杯でした。


そもそも親が気付ける範囲は限界があるのでしょうね。
現時点で私にできることがあるとしたら、小学校と家庭以外にもコミュニティを持たせることで、一箇所に染まりすぎないようにバランスを取れるようにしていくことでしょうか。
習い事でも、一時的なキャンプでも、親戚との交流でも
今後も子どもを観察しながらそのあたり考えていきたいと思います。

そして小学校に通い出した長男

このメールのやりとりの時点ではまだ学校は再開していませんでしたが、今は1日おきの分散登校が始まり2週間経ったところです。

3月の時点では、卒園・入学に並ならぬプレッシャーと不安を感じていた長男でした。それが休校と分散登校によって図らずも準備と助走期間が取れて、なんだか生まれ変わったように嬉々と過ごしています。

学級は33人ですが、まだ全員揃う日は来ていません。保育園からの知り合いはいません。

それでも4回目の登校で、途中まで一緒に帰る友達ができ、別の子とは一緒に遊ぶ約束も取り付けてきました。一応普段から、公園などで知らない子と遊べるタイプではあります。ああ、読者さんの描いたとおりです。

今はまだ学校が始まって2週間ですが、とりあえず心身ともに問題がなさそうです。

が、これに慢心して日々の観察を怠らないようにしたいと思います。

今後の方針

大枠は以前にも書いた上記の記事のとおりです。

ただ今回の気づきを経て、追加したい視点があります。

大人にもサードプレイスが必要とされるように、子どもにもサードプレイスを常時複数持つように意識すること。

大人になってからは、比較的好きなタイミングで環境を変えられます。

子どもにはそこまでの自由度はありません。感性や感情は大人より豊かなのに。

サードプレイスとして、いろんな信頼できる大人や、安心できる環境を持てることが理想です。親以外の観察眼が複数あると、本人も周りの誰かも異変に気づきやすい。あくまで理想ですが。

学校と家以外のサードプレイス。
習い事、キャンプ、公園、祖父母の家、友達の家などなど。
ここは大人の発想と工夫の見せ所ですね。

今回のお問い合わせでは、思わぬ方向から気づきを得ることができた気がします。本当にありがとうございました。

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