萩原麻友(ハギワラマユ)のブログに訪問していただきありがとうございます。
このブログでは、子育てや教育や進路に関する情報を独自の目線で綴っています。
あえてここだけ知ってほしいという点を挙げるとしたら、私の「教育と子育て」についての考え方です。
このブログを理解するための前提条件としてなるべくさっくりわかるようにまとめてみました。
執筆者の「教育と子育て」についての考え方
- 子どもには生まれつきの権利がある
生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利など
→詳細:子どもの権利について大人が知っておきたいこと - 子どもは自発的に発育する
親ができることがあるとしたら安全に発育できる環境を整えたり、人間関係の事例を見せたりすることくらいで、それ以外はかえって邪魔になることもある - 教育と子育ては親子ごとに違って、正解はない
親が不安になるのは自然なこと。わからないことは子どもと学べばいい。人は失敗からも学べるので、ムダになる経験はない
上記の項目や私の記事に興味や共感を持たれた場合は、次の「ざっくり自己紹介」だけでも読んでいただければと思います。
ざっくり自己紹介
ざっくり自己紹介
- 萩原麻友(はぎわら・まゆ)
- 1986年10月 大阪市生まれ、三人兄弟の長女
- 千葉県柏市在住(2019年12月から)
- 現在は夫と子2人の4人家族
- 過去に住んだことがある地域:大阪市12年、神戸市7年、米マサチューセッツ州4年、東京9年
- 仕事:フリーランスの保護者向け教育コンサルタント&教育系ライター
(サービス&実績) - 趣味:学校見学、セーリング(ディンギー)、勉強、計画
- 好きな一人時間の過ごし方:大型書店で数時間ブラウジング
↑2019年10月、Harvard Book Storeにて。こういうところで一人、2時間ほど過ごしてホクホクする人です。
以上が私の簡単な自己紹介です。
占いや心理学を嗜む方向けには、数秘が33、太陽星座が天秤、月星座と第1ハウスが牡羊、16タイプの性格分類ではINFJ、と書くともう少し伝わるでしょうか。
もっと知りたい方はどうぞ読み進めてください。Twitterもやっています。
夫による他己紹介
知り合ってから10年以上の付き合いになる夫。
そんな彼に私がどんな人物か聞いてみました。

夫くん、私のことを誰かに話すとき、なんて紹介してるの?

うーん、話すことはいつも3つ決まってるよ。
夫による私の紹介:
- 恐ろしく英語スペックが高い(昔ですがTOEIC満点、TOEFL117など)
- アメリカの大学に行ったのに帰国して、たった3ヶ月で東大に受かった。
- 留学・教育・子育てカウンセラーをしている
だそうです。

ほう、これだけ見るとガリ勉かエリートかと勘違いされそうだね。
で、本音は???

。。。
夫いわく、上記の話をするとだいたい「奥さん秀才、要領よさそう」とかの評価になるそうです。
そりゃそうだ。
でも実際はまったくそんなことはないです。
改めてウラの他己紹介を聞いてみると、
- 30過ぎても右と左を覚えられない(左右盲というそうです)
- 家事の要領悪すぎる
- 一つのことに集中すると周りが見えなくなる
- 時間の使い方が下手
- 思い込みが激しい
という全然有り難くない言葉が返ってきました。

これ以上は自粛するよ。

……ありがとう。
イメージと現実のギャップを少し感じていただけましたでしょうか。
ひとことでは表せない経歴
私は自他ともに認める特殊な経歴を持っています。
私の特殊な?経歴
- 日本の小学校に通ったのは1年ちょっと
- 日本でインターナショナルスクール7年(小2〜中2)
- アメリカのボーディングスクール4年(中3〜高3)
- 世界ランキング上位のアメリカの大学に入学、でも1学期で中退
- 帰国して2ヶ月で東京大学文科3類に入学(東大教育学部卒)
- 都市ガス業界2位の法人営業7年(うち育休3年)
- 育休中に転職して留学カウンセラー1年半、その後はフリーランス
そのためか、「出身は?」と聞かれると、
相手によってはどこから答えてよいかわからず、詰まります。
私のような経歴の人には「出身は?」だと漠然すぎるので、
「生まれは?」「高校は?」「大学は?」などのピンポイントな質問が喜ばれます。
◇正式な学歴:
大阪市立小学校(転出)
神戸市のマリスト・ブラザーズ・インターナショナルスクール(転入・転出)
米私立ボーディングスクール(入学・卒業)
米ウイスコンシン州立大学マディソン校(入学・転出)
東京大学文科三類(入学)/教育学部(卒業)

日本の義務教育(小中)どれも完了していないよね。。。

気づいたらこうなっていました
◇職歴(ボランティア、インターン、アルバイト):
国際NGO、青少年キャンプ、美術ギャラリー、劇場、プリスクール、飲食店、クリニック、公的機関、財団法人、教育系民間企業など多数。
ハワイでも短期インターンとボランティアをしていました。
◇職歴(新卒以降):
都市ガスの業界2位(新卒入社)の法人営業7年(うち3年ほど育休)
ベンチャー留学斡旋会社(転職)個人営業1.5年

「学生時代のバイト」のネタが多岐に渡りすぎてついていけない。。。

話題の引き出しはそこそこ豊富。
体験できるうちにいろいろやった結果です
◇資格:
JAOS認定留学カウンセラー
一級小型船舶操縦士
甲種ガス主任技術者
第一種電気工事士
TOEIC990点
英検1級

どれも一発合格だよね。
買い物リストが3つ以上になると覚えられないくせに、
試験では馬鹿力を発揮しやがる……

ここに挙げた以外にも資格持っているはずだけど、
案の定思い出せない……
と、軽いノリでここまで書いています。ここから先は重めなので、抜けるなら今がよいタイミングだと思いますよ。
私と「子ども」や「教育」との関わりについては、軽めのタッチでこちらにも書いております。
よく読まれている記事はこちらです。
もう少し深みに興味ある稀有な方はどうぞ下にお進みください。
18年の暗黒時代
正直、私の経歴はよく羨ましがられます。
確かに、話のネタにはなりますし、記憶の限り就活やバイトの書類選考では落ちたことはありません。書類選考だけですけど。
でも光には必ず影があるんです。
ここからは影の部分の話。
長くなるので、興味がある稀有な方だけ読み進めてください。
つまらない小学生時代
小学校2年の1学期までは、普通の公立小学校に通う鍵っ子小学生でした。
近所に何人かよく遊ぶ友達がいたり、家の前で待ち合わせて登校する仲間がいたり。
しかし小学校2年生のときに遠方のインターに転校してから、ご近所友達は皆無に。
インターの学級には20人ほどいましたが、みんなバラバラの場所から通っているので放課後遊ぶのも困難。
私には兄弟がいましたが鍵っ子だったので、寂しさ余りに、遠くに住む学友を無断で家に連れ込んでは双方の親から怒られていました。
途中から、たまたま同じ団地に住むことになった同級生が1人だけいました。
同じく鍵っ子だったその子とは、放課後よくお互いの家を行き来していました。
彼女がいなかったら、私の小学時代はもっと暗かったと思う。ありがとう。
小学生〜中学生の休み時間や週末などは、友だちと遊び、交換日記をし、漫画を貸し借りしたり、テレビや漫画や小説で夜ふかししたりして、特にパッとした記憶がないまま、気づいたら中学に進学しました。

↑その当時について振り返った人気記事です。
今振り返ると、有り余る時間をもっと有効活用できたんじゃないかな、と思いますね。
勉強はできたほうですが、運動や文化系や課外活動はさっぱり。
だからでしょうか。子どもをインターに入れたくないと思ったのは。

インターが悪いというよりは、お金や時間のリソース配分を見直す、という記事です。
とはいえ私はインターに通ったこと自体は感謝しています。
英語とパソコンとキリスト教について特に身についた7年間でした。
同じ人達とずっとべったりするわけでもなく、何かに特別打ち込むわけでもなく。
小学生時代は、ほんとにパットしないまま、わかりにくい自分を持て余していました。
その当時の根暗な様子はこちらの記事でも。

世界と闘った中学高校時代
中3のとき、アメリカに単身留学することになりました。
留学先は、アメリカ東部の伝統的なボーディングスクール。
そこは世界中から集まってきた猛者たちの巣窟でした。
それまでのインターでは上位の成績を収めていましたが、アメリカの高校ではまったく歯が立ちませんでした(笑)
当然です。
そこにいる他の子たちは勉強だけでなく、スポーツも、文化系活動も、社会貢献も全部できちゃうし、むしろ目を輝かせて、もっとやりたいという人たちばかり。
ただ歩いているだけでも早くて、私が勝てるのは座高くらい(笑)
学力も、性格も、体格も、体力も、経済状況も、全てにおいて自分より優れているひとだらけでした。
そんななか、私は親に顔向けするために、そして周りに認知してもらうために、努力を重ねてきました。
4年間過ごしたなかで、仲の良い友だちができました。
いろんな活動に挑戦して、彼氏も作って、成績も上がって、ぱっと見は順調でした。
それでも、幼少期をアメリカで過ごしていないためについていけない話題があったり、語学の壁を感じたりは日常茶飯事。
“普通”の中学高校生活だったら、紺のハイソックス履いてスカート巻き上げて友達と大阪道頓堀あたりを練り歩いていただろうに、どこでこんなことになったんだろう。。。
アメリカ人にも日本人にもなれきれないコンプレックスの塊でした。
自分には世界で戦える武器がなんにもない。。。
超えられない壁、挫折というのはこういうものなのか、と15歳で知りました。
今なら、そんなことはなかったのにな、と思えますが、それがわかったのも社会人になってからだいぶ後でした。
あのときは、親や先生を含め信頼できる大人は身近にいたけど、自分の悩みに気づいたり言語化したりするすべがなく、身近な大人もそこまで踏み込んでくれる距離感ではありませんでした。
(誤解がないように、ボーディングスクールは先生と暮らしているので、大人の目はちゃんとあります)
そんなこんなで高校では、ホームシックや鬱の荒波をなんとか乗り越え、無事卒業することはできました。


最後には完全にやりきった感じで、よくもわるくも、もう戻りたくない壮絶な体験でした。
でもまだ暗黒時代だったんだな。。。
暗中模索の大学時代
私が通っていたボーディングスクールは、下手に進学校だったために、先輩も同級生もアイビーリーグ系の大学からじゃんじゃん合格通知が届くような環境でした。
その一方で私はそこまでできるわけじゃないし、なにか大学で学びたいことがあるわけでもない。
親に多額の学費を払ってもらいながら、こんなので進学してもいいのかと葛藤していました。
リベラルアーツ系や私立・公立の総合大学にいろいろ出願した結果、とりあえず比較的安く行ける総合大学、ということでウィスコンシン州立大マディソン校に進学したわけです。
新しい学校。友達は一から作り直しな状況。
成績はオールAで、少数ながら親しい友人もできましたが、このままでは高校の暗黒の4年間を繰り返してしまう!と危機感がありました。
そこで親や高校の友だちにも相談し、日本の大学に切り替えることにしました。
そこから急いで帰国子女枠で複数校受験して、東大に合格をいただけたというわけです。
帰国の決断から入学までの期間がわずか半年未満の短期戦でしたが、初めて親の顔色を伺わずに決めた進路。人生の大きなターニングポイントでした。
でもとりあえず学費抑えられたし、これで自由にできるはず。と思ったのもつかの間。
東大には東大の猛者がうじゃうじゃいて(当たり前)、いちからやり直しの状況にまた泣きを見ました。
一般的な受験ルートを辿っていないし、
東京もわからないし、
受講態度がアメリカと日本では違いすぎるし、
周りとほんとに共通点がなさすぎて。
理解ができないことが多くて。
そしてやっぱり私のことを理解してくれる人がいない。。。(T_T)
気づいたら2回目の鬱になっていましたが、よいカウンセラーに出会って通いつめながら、自分の理解を深めていくことができました。
高校ではいなかった相談相手を、大学で持つことができたのは進歩でした。
同じ学科を卒業した子の名前は一人も思い出せないけど、大学の卒業証書とわずかな仲の良い友人だけが財産です。
普通であることを諦めた新卒時代
私の挫折のもとは、孤独を解消するために他人と共通点が欲しい、けれどそれを実感できない。
実感できないから自分のことも好きになれない。
自分のことが好きじゃないから不安で孤独。
という悪循環だったんじゃないかと。
インターにいた頃から、自分に自信がなく、これという取り柄がなかった。
アメリカにいると、「日本人なんだね、日本のこと教えて」
日本にいても、「帰国子女なんだね、英語でなんか言ってみて」
会社に入ると、「東大卒なんだね、頭いいから教えなくてもわかるよね」
私にはなにもないのに、どこでも「ちょっと異質な人」でした。
どこにも適応しきれない自分に直面し、どうしてよいかわからない。
社畜になったらなにかが変わるかと思って、会社では激務に身を委ねてみました。
やっぱり違ったようで、気づいたら3回目の鬱になっていました(泣笑)
親になって人生に光が射した
鬱の時期とも重なっていたのですが、結婚して、子どもができました。
一般的には、産休・育休に入った女性は孤立が心配されますが、むしろ私は水を得た魚のように、子連れでイキイキといろんなコミュニティに出入りしていました。
それまで周りと共通点がないと悩んでいたことが嘘のように、子どもができて初めて世代や生い立ち関係なく人と付き合えるようになっていったんです。
子どもに親にしてもらえたおかげで、ようやく暗黒時代に光が差しました。
今から思えば、自分で壁を作っていたのかもしれないですけどね。
でもそんな私の人生を変えてくれたのは、間違いなく子どもです。
その証拠に、子どもができてからは、鬱を再発していません。
もちろんまったく苦悩がないわけではないんですが、そろそろメンタルは確実に強くなってきているし、やっと人並みに自信が持てるようになってきました。
開き直ることもできるようになりました。
年を重ねるごとに生き易く、楽しくなってきています。
私があんなに持て余していた自分の「変な経歴」も、今となっては何にも代えがたい財産です。
子育てと仕事と家庭の両立生活では、やることや感情は大忙しですが、大枠では悩むことも楽しめる。そんな心境です。
当ブログを運営する根底の理由
今の私を作ってくれたのは、よくもわるくも子ども時代の「教育」だと思っています。
親の教育方針、学校選択、周りの環境、全てが子どもの人生を形成します。
時間が経って、親になり、また職業として子どもの教育に向き合っている今だからこそ、やっと自分の半生を見直すことができました。
多様な体験、心から熱中すること、いろんな人とかかわること。。。
これらが人生において、いかに重要かを身をもって知りました。
今も、そう信じています。
私はやっと今自分の経歴を誇りに思います。
若くしていろんな岐路に立たされ悩み抜いたからこその経歴だからです。
私をつくったのも、救ったのも、私の歩んできた道でした。
でも、もしやりなおせるとすれば。。。
いろんな体験を重ねて、好きなことに熱中する体験をもっとできていたら。
自分が悩んでいることに気づかせてくれる大人が、身近にいたら。
もっと早くから自分のことを理解して、好きになって、自信をもっていたら。
本来ならあのときの苦悩は、少しでも和らげたはず。
今見えていること、知っていることを少しでも教えてくれる大人が近くにいれば、人生変わっていたかもしれない。
何より、あのとき諦めた多くのことは本来諦めなくてもよかったのかもしれない。
基本的に私は過去を振り返って後悔や、戻りたいと思うことはありません。
それよりも未来のことを考えて準備するのに忙しくしていたいから。
でも留学の仕事に出会って初めて、「当時にこういうことを知っていたらもっと楽しく人生を過ごせてたかもしれないし、もっと違う選択肢があったかもしれないし、違う未来に行けたかもしれない」という思いがふつふつと湧いてきました。
将来英語に困らないようにしたい、海外進学をさせたい、トップ大学にいれたい、などクライアントの目的は様々ですが、子どものために何かをしてあげたいという親の思いは共通です。
私も親として、教育者として、元当事者として、次世代の子たちのためにできることをしたい。
でも、子どもの「教育」ってお勉強や英語や留学だけではない。
もっと広く、一人ひとりにあった教育プランを考え抜いていきたい。
もし、私のように孤独感に苛まれている子どもや親がいたら、そっと前を向かせたい。
子どもがどこまで成長できるのか、一人ひとりの可能性を試したい。
子どもが見せる成長は、大人をも感動させて、変化を生みます。
子どもやその親にそれぞれ必要な情報や価値の提供をしていきたい。
このブログは、未来の子どもたちとその親に捧げます。
これから子育てを始める方や、すでに始まっているけど困っている方が、少しでも楽に明るい子育てができるように。
現在進行系で進路について悩んでいる子どもが、未来に少しでも希望が持てるように。
親も子も「今」をもっと大事にできるように。
私の親に、あのとき知っていてほしかったこと。
あのとき誰かに教えてほしかったこと。
そして自分の子育てにも生かしたい「子育て・教育・進路に関する視点」を綴っていきます。
仕事との付き合い方を変えたい
ついでにとても書きにくいことではありますが、これから私が関わるかもしれない皆さまの幸福のために書きます。
私はボランティアでこのブログを続けるつもりはありません。
私には、実現したいことがあります
それはとてもささやかですが、
・家族と過ごす時間の質/量の改善、
・自分や家族の健康への投資、
・経済的資産よりも人的資産の蓄積
です。
これまでも家族一人一人の時間の使い方が、家庭内に影響を及ぼしてきました。
今、とてもよいバランスで社会とつながりながら、子どもや夫との関係も維持できてきています。
よい循環に少しでもつながるような出逢いを求めて、このブログ活動をはじめました。
言い換えると、
家族と過ごす時間を奪ったり、自分の健康に悪影響を及ぼしたりするような行動は取りませんし、その可能性がある方とはお付き合いしません。
双方にストレスが少ない関係にご納得いただける方と、長くお付き合いしていきたいと考えています。
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それでは、当ブログをお楽しみくださいませ。